What Calling For...... 「橘先輩、お昼どうぞ」 「え。あぁ、ありがとう。じゃ、あとお願いね」 時計の針は午後1時をまわっているというのに、朝から『バグダッド・カフェ』が鳴り止まない。遠く渇いたジェヴェッタ・スティールの呼び声≠ェ、昨夜の夢の中からずっと鳴り続けている。当然、気分も夢の中のまま......つられてクラプトンの『セイム・オールド・ブルース』までもがいつにも況して重く、そしてしつこく響いて止まない。どんな夢だったかさえもロクに憶えちゃいないというのに...... 「ねぇ、加奈子。シャンテの向かいの地下に昨日オープンした店、けっこう評判いいみたいよ。今日行ってみない?」 「え。あぁ、ごめん。今日、あまり食欲ないの」 別に本当にないワケじゃない。お腹は空いてるけど、我慢できないほどじゃないってだけのこと。それよか独りになりたいって気分が膨らみ続けて止まらない。いっそこのまま銀座まで飛び出て『樹の花』の窓際のテーブルでアイスコーヒーでも飲みながらボーッとしていたい気分に駆られてならない。 (構わないさ。休んじゃいなよ。有給だってまだたくさん残ってるんだからさ。「体調不良」ってことで帰っちゃいなよ) そんな簡単に言わないでよ。それにその手は先月に使ったじゃない (大丈夫だって。だいいちそんな気分じゃ仕事にならないだろ。そんな気分の時に限ってつまらないミスをするものさ。今日は帰ろう。お気に入りのカフェでゆっくりすれば、少しは気分もすっきりするさ。ほら、デスクの右の引き出し、上から2番目。早退届、まだ何枚か残ってるよね) そんなこといったって...... 『体調不良により』...... 気が付けば、離席した上司のデスクの上で泳いでる書類の中へ滑り混ませ、慎重≠ノ更衣室へ向かっていた。 「あれ、橘君。顔色、あまり良くないな?」 シメタ。更衣室まであと少しってところで他ならぬ安田部長に当≠スった。我ながらツイてる。 「はい。ちょっと......すみません。今日はこれで帰らせていただきたいのですが......早退届は村川課長の机の上に出しておきました」 「おぉ、そうか。大事にな」 (ほらね。大丈夫。きっとウマくいくっていったとおりだろ。こうゆうモンさ。サ、早く着替えて街(そと)へ繰り出そう) セツに悪いわよ...... (今更じゃないだろ。大丈夫、たまには構わないさ。彼女なら、きっと許してくれるって。なんて思いながら、もう行き先のこと考えてる) そりゃマァ、そうだけど (行き先(店)はやっぱり『樹の花』?) そう急かさないでよ。いま、まだ着替え中なんだから (『ルージュ』でもいいんじゃない?) もう。ちょっと黙っててよ (そうか。独り≠ノなりたかったんだったね(笑)) うるさいナー ほんの少し、背中に罪悪感を感じながらも、ゆっくりと、しかし逃げるように会社を出る。当然、五感は最大出力。場所が場所だけに迂闊なルートを取るワケにはいかない。 (そんなにピリピリすることないって。きっと大丈夫、今日はツイてるんだから) そんな簡単に無責任なこと言わないでよ。万が一、見つかってバレてシャレになんなくなるのは、このアタシなんだから! (じゃぁ、思いきってタクシー使うかい?) 冗談じゃないわよ。それじゃぁ、街へ繰り出る意味なんてないじゃない! (だからってそんなに気構えてちゃ、ぜんぜん気楽になれないだろ) いいの。あともう少しなんだから。それまでの辛抱よ 日比谷通りと晴海通りが交差する丸の内警察の前から地下へ潜(もぐ)り、有楽町を目指す。ホントはもっと前にも入り口がいくつかあるのだけれど、とりあえず、少しくらいは外の空気を吸っときたいわ。普段は肩で風を切るように闊歩する日比谷の地下道を、うつむき加減に歩く。誰とも目を合わせないように。万が一、見られたとしても「具合が悪そうだった」と思わせられる感じで。 (見た目とは裏腹に、内心、けっこう楽しんでるね?) からかわないでよ。これでも迫真の演技なんだから (名演技だね。セツにみせてあげたいよ(笑)) ふざけないで。交通会館の下までもう少しなんだから (大丈夫だって、ホントに。だって、いま見つかったって、帰る方向が違うってことからして疑われるんだしさ?) 掛かりつけのクリニックがあるって言えばいいじゃない (「そこ、何処?」なんて訊かれたら?) ケンカ売ってんの!? (冗談だよ(笑)。ただ、いつになくあからさまに君らしくないのが面白くてね) アタシだってナーヴァスになるときくらいあるわよ (分かってるって。ほら、もうすぐ。そこだ) JR有楽町駅へ上がる階段を越え、さらに奥の突き当たりを右へ。その階段を上がり、まず交通会館の地下街に入る。古本を扱う露店に囲まれた階段をさらに上がって地上階へ。右へ向かえば今ではディスカウント・ショップと化した旧タカラヅカ1000DAYS劇場前へ、反対に左へ出ればマリオンから少し離れた裏側。 「う〜ん......」 上りきった階段の手すりに片手をかけ、ほんの暫くではあるが、自分の気まぐれと戯れる。 (余計な口出しは無用のようだね) こんなときぐらい、アタシ独りで遊ばせて≠ 「決めた」 首都高のほぼガード下とはいえ、出口までは日陰は届かない。 (ちょうど、このくらいの日差しがいちばんイイもんさ) そうね。もうエアコンの暖気にはウンザリ。この陽射しの温もりが欲しかったのかもね 街のそれは、まさにクリスマス一色。当日まで2週間。でもこの国では欲望の対象でしかない。阿漕で軽薄な熱気。止め処もなく沸き出る欲望の赤≠ニ冷淡な白≠ノ彩られた汚俗。過剰にざわめく電飾が、もはや見苦しさをも越え、哀れにすら映る。 首都高のガード下を潜(くぐ)り、プランタン銀座へ通じる横断歩道を渡る。でも今日はパス。そのまま脇道へ真っ直ぐ入り、建物の脇に構える馴染みの古本の露店を横目にひたすら昭和通りまで直進。 (何も聴かないのかい?) だって、ただでさえアタマの中で鳴ってるのよ。それに今日、『クラプトン』忘れてきちゃったし。況してや「コーリング・ユー」なんて、サントラそのもの持ってもいないし (『アルバータ・ハンター』があるじゃないか) 意外だわ (へぇ、意外と意外≠ネんだ。でも、『ノゥバディ・ノウズ〜』や『オールド・ファッション・ラヴ』なら意外≠ニイイかもよ?) そりゃ好きだけど......でも今はノ≠黷驍ゥどうか自信ないし...... 「『アムトラック・ブルース』か......」 挑発に乗ってつい、MDを用意してしまった。 (せっかくだから最初っから聴けば。大好きなんだから?) いちいちうるさいっ! とはいえ、選りすぐるのも面倒だし......素直に『〜ストラッターズ〜』から。 まだまだ日中の活気が街に張り詰める中、洒落たピアノのイントロが流れ出す。このアルバムを録った時、すでに彼女(ハンター)はかなりの老齢で、死を迎えるほんの数年前だった。にも拘わらず、その歌声の説得力はハンパじゃない。とくに中央通りの横断歩道で信号待ちしているあいだ、向かいのビル郡を背景に眼前を無機質に流れる多くの車を何気無しに眺めるときに入ってくるその重みは凄まじく、己の人生の浮薄さを否応なく痛感させられる。 (時間はたっぷりあるんだし、もうすこし歩くのも悪くないと思うんだけど?) そうね。少し廻るのも悪くないわね コントローラーでS・R・V(スティーヴ・レイ)まで送る。『コールド・ショット』がいつにも況して耳に響く。朝から鳴ってた『コーリング・ユー』と『セイム・オールド・ブルース』に通じる感じ。そう、このドライでシャープな気だるさ。 昭和通りを渡ってマガジン・ハウスへつづく道へ入ってしまえばすぐ近くなんだけど、あえて晴海通りまで廻って歌舞伎座の前から入るのも悪くない。帰り際に『いわて銀河プラザ』へ寄って「ずんだ団子」でも買うのも悪くないわね。 「今日は寿式三番叟(ことぶきしさんばそう)か」 小屋の正面に立てられた、歌舞伎の演目を横目に流しながら南の角を左へ入る。 (『トリコロール』でもよかったんじゃない?) いいの。きょうは『樹の花』って決めてたんだから (じゃぁ、もし『樹の花』が込んでたら『トリコロール』まで引き返すのかい?) もうホント、ちょっと黙ってて! 歌舞伎座の脇道にあたる木挽町通りの角、洋風の建物の2階にある『樹の花』。 (混んでないでよぉ〜。さらにあわよくば、お気に入りの席、奥から2番めの窓際にある、半月型のテーブル席が空いていれば......) イヤフォンを巻きながら、ひと一人、やっと通れるほどの、細く、登り進むのに少し躊躇してしまうような薄暗い階段。踏み込んで2段目辺り、ひときわ低く落ちた天井。ぶつけるワケがないと判っていても、不意に頭を屈めてしまう。繁昌というワケでもないが、もう何年もかよっている。そのくせママとはまともに口をきいたこともない。セツと2人で入ったって、そのときだけ明るく振舞うってのも返って気恥ずかしいし。 さらに上のフロアーへ上がるために折った、階段の踊り場の左に突然ある、ガラスの張った格子の扉から中の様子を覗う。 (やった。カウンターに1人居るだけだわ!) ゆっくりと扉を押し開ける。扉の上部に付けた呼び鈴が「カラン、コロン」と鳴る。 「いらっしゃいませ」 見慣れない店員が拙い声音で出迎える。新入りか。 一瞬、ママさんと目が合うが、さりげなく目線をはずして、奥から2つめにある、目当てのテーブルへ向かった。 「シナモン・トーストと樹の花ブレンド。あと、灰皿いただけます?」 着席する前にオーダー。決めてたんだもん。 「はい。かしこまりました」 店員が灰皿を持ってくるまでにハイライトを口にくわえ、ライターを手に取る。まだ火は点けない。木製の格子の入った細長いガラス窓。そっと、別に誰に気兼ねするわけでもなく真下を見下ろす。交差点を行き交う人。そしてその先に伸びる柳通り。別にどってことのない、見慣れた街のそれ。でも、ここからこうして眺めてるのが何故か飽きない。他の店じゃ、とてもありえない。 視線をそのままに、店員が灰皿を届けるタイミングを見計らいながら、ゆっくりライターを握った手を上げる...... やはり体調は絶好調ね......煙≠ェ教えてくれる。 (まだ、忘れられないのかい?) ......どうかしら。自分でもよく解らないの 大学生の頃、当時つき合っていた相手に連れてこられて、この店に初めて来た。 「この店、ずっと君を連れて来たいって思ってたんだ。何でも、開店して4日後にジョン・レノンとオノ・ヨーコが来たんだって。ほら、ちゃんと壁にサインが飾ってあるだろ。そして彼らが座ったのが、いま僕らが座ってるまさにこのテーブルだったんだ」 窓の外に向けていた視線は、いつのまにか空いたままの3つ先のテーブルを見つめている。もう3年も経つというのに...... (愛する誰かが欲しいのかい?) そりゃ、要らないって云ったらウソになるわよ (それとも愛されたいの?) そんなの、両方に決まってるじゃない (愚問だったね(笑)。じゃぁ、どうしたい?) それがわかれば苦労はないわよ (「肝心の相手がいないんじゃ」か) ......そうね (でも、その相手≠ェ現れたって、ガードを固めきってるのはどこの誰だい。ただでさえ、その容姿だっていうのに?) 何でもかんでもアタシのせいにしないでよ (その並外れた高くて屈強な壁≠優しくぶち壊してくれる運命の存在を信じて止まないんだね) そんなわかりきったこと、いちいち云わないでよ。そうやって「現実を見ろ」だなんてケチな説教でもする気? (するワケないじゃないか(笑)。それで構わないと思うよ。この先、何年待つことになったって、君がそれでいいと納得してるんだったら。それなら例えその間、どんなに苦しくったって仕方ないさ) そうよ。すべて覚悟のうえでのことなんだから。いつかきっと......きっと出逢ってみせるわ (あぁ。そうだね。それでこそ君だ) 1時間ほどで5本も吸った。 (ちょっとピッチが早いね) でも、そう悪い気分でもないわ 店をあとにし、再び木挽町通りを晴海通りへ向かって歩く。ほかに寄り道したくない気分でもないけど...... (たまにはおとなしく帰ろうよ?) そうね。こんな真っ昼間っから独りで歩く気分じゃないわ 再び着けたイヤフォンからは、先とは打って変わってモトリー・クルーの『NEW TATTOO』が激しく唸る。とことんストレートなドライヴ。シャープでフラット、ウェットでドライなヴィンス・ニールのブライトでエッジの利いた声音が全身に響く。静かだが確かな高揚。悪くない。 (いい調子だね) ええ。誰にどう思われたって、この気持ちにウソはないわ。 |
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